COMPANY沿革

テクノウイン株式会社 沿革

昭和31年(1956年)

志雄織物株式会社の創業を開始。

石川県金沢市の産元商社「岸商事」直営の織物工場として、羽咋郡志雄町(現 宝達志水町)敷浪地内に、町誘致企業1号として設立。

東洋レーヨン株式会社(現 東レ)指定の「ナイロンタフタ」専門工場として操業を開始。
フライシャトル織物設備を保有する。

昭和36年(1961年) イタリー撚糸による「ナイロン加工糸」の生産を開始。
同時に、生産品目を「タフタ」から、伸縮性のある織物生地生産に方向転換を行い、ナイロン加工糸による、「スキーパンツ生地」の生産を開始。
昭和38年(1963年) 世界的に、ポリウレタン繊維(スパンデックス)が台頭してきたため、イタリー撚糸機を改造し、カバリング撚糸方式による伸縮性織物生地の生産を開始。
昭和40年(1965年)

効率的な生産が可能な新方式「仮撚機」が世界的に広まりつつあり、この時期、志雄織物の撚糸部門(イタリー撚糸方式)が切り離され、石川県能美郡根上町に、新しく仮撚専門の「北国合繊株式会社」を設立。準備部門の社員が北国合繊へ転出し、当初は、スキーパンツ生地用ナイロン加工糸や、その他衣料用のテトロン加工糸の生産を主体に稼働する。

一方、志雄織物としては、北国合繊での加工糸を使用して、以下の2部門の生産品種に集約

  • スパンデックス混のスキーパンツ生地 オペロン織物課(1S7B)
  • 加工糸織物 学生服、婦人服・子供服 テトロン加工糸織物課(1S2B)
昭和44年(1969年)

レピア織機の導入を開始。第1期は、
レピア 50台
シャトル150台
の体制で、順次、レピア織機の比率を増加していく。

一方、イタリー撚糸機を改造した「カバリング撚糸機」から、徐々に、本格的な「カバリング撚糸機」への更新と合わせ、大捲量の保有撚糸設備の「カバリング撚糸機」への改造を開始。

昭和47年(1972年) 当社生産の生地を着用し、冬季札幌五輪、スキージャンプ競技にて、日の丸飛行隊(笠谷、金野、青地)が、メダルを独占するという快挙あり。
昭和50年頃(1975年)

生産品種を、スパンデックス混織物のみに特化。
すべての織機設備を、レピア織機に統一し、スキーパンツ市場での国内需要の「約80%」年間 25,000疋を供給する。

2WAYストレッチ織物の主な品目は、以下となります。

  • 1重織物 エントラント膜加工品
  • 2重、3重、4重のウール混織物
昭和60年(1985年) これまでのオペロン織物課単独から、東レ株式会社と全方位的な取り組みを開始。
スキーパンツ生地生産以外に、アラミド繊維ストレッチ衣料、競泳用水着、アウターパンツ、学生衣料、エクセーヌ衣料、産業用途メッシュ資材など、広範囲にわたる織物品種に生産を拡大していく。
平成2年(1991年) 生産品種、数量の順次拡大に合わせ、同時期、同じ岸商事グループの「良川織布」の再建問題(旧式シャトル織物設備)が起こり、志雄織物の一部の設備移転および新設を合わせて全設備を入れ替え、志雄織物の子会社「株式会社グッドリバー」として、運営を開始。
平成16年(2004年)

同じ岸商事グループの「田鶴浜織物株式会社」と統合合併し、新会社「テクノウイン株式会社」を設立。
資本金 志雄織物 4,000万円、田鶴浜織物1,000万円の、計5,000万円でスタート。

新会社「テクノウイン株式会社」と東レ株式会社との関連部署
(尚、創設から令和2年3月の現在に至るまで継続しています。)

  • スポーツ衣料事業部  スポーツ織物2課、ニット衣料資材課
  • 産業資材事業部    機能素材課(養生メッシュ)
  • エクセーヌ事業部   エクセーヌ課(サミア衣料、資材)
  • 婦人紳士織物事業部  婦人紳士織物1課(和装、洋装カラミ織物)
平成22年(2010年) 親会社「岸商事」が経営破綻。同じグループの「北国合繊株式会社」とともに、会社更生法の適用を申請、「民事再生」の申立を行う。
平成24年(2012年) 「民事再生」申立の承認・認可が下り、再建計画がスタート。
資本金1,000万円に減資。(一部の取引先を含め、大半が社員株主)
平成27年(2015年) 金沢地裁より、民事再生の「終結宣言」が下りる。
平成30年(2018年) 順調に、再建計画が進み、「民事再生計画」が完結。
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